ドキュメンタリー番組「ピュアにダンス」(Part1~5)シリーズまとめ
Posted on 8月 23, 2014 by DS21.info
フジテレビ系列の番組「ザ・ノンフィクション」。
1995年から開始された良質なドキュメンタリー番組です。
この番組で10年以上にわたりダウン症のある当事者とその家族を見つめた企画があります。
セイビン映像研究所が制作する「ピュアにダンス」シリーズです。
番組プロデューサー河村正敏さんとディレクター松田恵子さんは2003年、ダウン症の人達のエンターテイメントスクール「ラブジャンクス」に出会いました。
ダンスを心から楽しんで
エネルギッシュに踊る姿に惹かれて取材を始め、以来、
彼らがダンスに打ち込むことで自信をつけ、仕事にも、恋にも、
可能性を拡げてゆく様子を追いかけてきました。
その過程が「ザ・ノンフィクション」ピュアにダンス シリーズ
として、これまで5本の番組になりました。
http://www.seibin.com/production.htm
2010年に放送されたシリーズ第4弾はアメリカで開催されたドキュメンタリーの賞、
USインターナショナル・フィルム&ビデオ・フェスティバルの「金のカメラ賞(GOLD CAMERA)」を受賞しました。
・アメリカで金のカメラ賞を受賞した日本のドキュメンタリー番組
夢や希望を家族で見つけ、それを追いかける姿。
視聴者も勇気と元気をもらえる番組、それが「ピュアにダンス」シリーズなのです。
番組冒頭で語りかける女優・宮崎あおいさんの言葉が内容を象徴しています。
「あなたは好きなことを思いきりしていますか?」
いままでのシリーズ5作品を振り返ってみます。
【第1弾、第2弾】2004年、2005年
「ラブジャンクス」に通うダウン症のある優さん、良さんとその家族を中心に番組は進行します。
良さん(19歳)は仕事で稼いだお金を貯めて、職場にいる意中の女性との結婚を夢見ています。
優さん(13歳)は毎日何時間もダンスの練習をするほどダンスに入れ込み、将来はプロのダンサーになりたいという夢を持っています。
喜怒哀楽を通じ、いまを懸命に生きる二人の姿。
もし、ダウン症という障害が何か暗く辛いものというイメージを持った人が観たら、そのイメージは180度、変わることでしょう。
どんな親も子供を育てることで親になっていきます。
良さん、優さん、それぞれの母親は、子供が生まれダウン症とわかったとき、どんな思いだったかを語り、時おり思い出して涙をします。
今の子供の姿は考えられなかった、と。
良さんがダウン症とわかった時、母親は大変なショックを受けたと言います。
「どうして私にという気持ちが強く、なんで私が障害児を授からないといけないの」
「誰がかわいそうって、私がかわいそうでね。子供がかわいそうじゃないの」
「本当にいま思うと失礼でね。申し訳ないと思うんですけど」
また、忘れてはいけないのが父親の思い。
父親も悩み考えぬいて、いまの幸せがあります。
そんな家族の姿をカメラは丁寧に見つめていきます。
そして、二人は夢のひとつであるラブジャンクスのステージへ。
【第3弾】2007年
プロのダンサーになることが夢の優さん。
第3弾は優さんを中心に進行します。
ダンスのために日々のトレーニングを欠かさない優さん。
腕立てや腹筋などで鍛えた体を披露。
ラブジャンクスのメンバーとしても第一線で活躍しています。
そんな優さんが16歳のとき、プロになるチャンスが訪れます。
日本のダンス界で有名な舞台STREET DANCEコメディミュージカル「Lock ON」出演の誘いがあったのです。
夢に見た職業としてのダンサー。
しかし、職業としてダンサーを目指すことが本人にとって将来の為になるのか、父親は悩みます。応援したい母親と父親のすれ違い。
ラブジャンクスの牧野アンナ先生にも相談し、優さんの出演したい強い気持ちを後押ししてくれました。そしてとうとう、夢の舞台に出演決定。
そうと決まれば父親も緒に脚本を読み、練習につきあってくれます。
家族が一丸となって息子の夢に向かって動き出し、夢の舞台へとあがったとき、感動と驚きのエンディングが訪れることに!
【第4弾】2012年
19歳の良さんはラブジャンクスで出会ったダウン症の彼女との結婚を夢見ています。
彼女とのデートでは洋服を一緒に選んでルンルン。
自宅で彼女からのメールが来ないと不安になったり、愛し合う二人の様子が描かれます。
良さんは20歳、成人の日を迎えました。
ファーストフード店でも仕事をこなし、人生は順調です。
父親は「ダウン症でも結婚できると言ってあげたい」けれども、結婚は責任を伴うことでもあるし、息子がそれを全うできるのかと苦悩します。
兄弟との食事でも話題は良さんに。
答えはでませんが、両親、兄弟、みんなが良さんには幸せになって欲しい、と言います。
25歳になった良さんの夢、彼女との結婚。
その夢と問題に向かって家族全員が考え、悩み、笑う。
包み隠すことなく描かれる家族の姿に、胸を打たれずにはいられません。就労、恋愛、結婚、自立……そうした問題にやがて直面するすべての家庭にとって、田中さん一家の姿は多くのヒントを与えてくれるはずです。
【第5弾】2014年
優さんの母親は言います。
「輝いていられるときまで支えてあげたい」
「やっぱり障害をもって産んでしまったと言ったら彼には悪いけれども」
そんな母親も優さんがダウン症とわかったときはショックを受けました。
「かなり(夫婦で)落ち込んでいました。」
「はっきり言って顔はみたくなかった。奥の部屋に、ベッドに入れっぱなし。」
「いま考えるとなんであんなひどいことをしたのかな、と」
取材をはじめて11年、23歳になった優さん。
16歳のとき、プロダンサーになる夢をもちました。
そして夢の舞台へ。
ところが、注目を浴びた舞台の後、優さんは元気がなくなりました。
ずっと期待されて走り続けてきたからでしょうか。
舞台に立ったことで周囲から「ダウン症があるダンサー」と注目され、自分がダウン症であるという現実に向き合い、落ち込んでしまったのです。
毎日自宅で踊っていたダンスもほとんど踊らなくなってしまいました。
その後、両親やラブジャンクスの牧野アンナ先生が優さんの気持ちを丁寧にフォローしてあげることで、優さんも少しずつ元気が出てきました。ダウン症であることにも肯定的になりました。
優さんはラブジャンクスではインストラクターとして活動しています。
そんな優さんに思いがけないオファーがきました。
「韓国でダンスを教えて欲しい」というオファーです。
優さんは新たな挑戦をどう乗り越えていくのでしょうか!
その他
セイビン映像研究所がドキュメンタリー制作でダウン症のある方からインスパイアされ、「ダウン症のある人たちの個性豊かな表情を伝えるビジュアルサイト」をつくりました。
ピュアでやわらかいダウン症の方の個性を感じさせる素敵なサイトです。是非ご覧ください!
http://www.dsmilenet.com/