ダーウィンとダウン症
Posted on 7月 1, 2013 by DS21.info
「進化論」で有名なチャールズ・ダーウィン。
彼の10人目の子供であるチャールズ・ウェアリング・ダーウィンはダウン症であったと言われています。
当時の医学的資料に「ダウン症」の記載はありませんが、ダーウィンの研究者の間では彼の息子がダウン症であったことは共通の見解となっているそうです。
チャールズは50歳、妻のエマが48歳の時に「ウェアリング」は生まれました。
1857年に息子のウィリアム(17歳)が撮影したウェアリングの写真が残っています。
残念ながら、ウェアリングは1858年、猩紅熱(A群溶連菌で咽頭炎(のどの炎症)を引き起こす細菌)が原因で亡くなりました。
享年1歳6ヵ月(1856年12月6日 – 1858年6月28日)、短い命でした。
チャールズ・ダーウィンは息子の葬儀に出席。
実はこのタイミングでロンドンのリンネ学会でウォーレスとの共同論文において「自然淘汰説」が発表されたのですが、チャールズは学会を欠席し息子の葬儀に出席しました。
wikipediaではこう書かれています。
その時ダーウィンの家族は猩紅熱で倒れており問題に対処する余裕はなかった。結局幼い子どもチャールズ・ウォーリングは死に、ダーウィンは取り乱していた。
チャールズ・ダーウィンは3人の子供を亡くしています。
1842年に生後3週のメアリー、
1851年に10歳のアニー・ダーウィン、
そして、1858年に1歳6ヵ月のウェアリング。
アニーの死が「進化論」のヒントになったと言われていますが、
他の二人の子供の死も少なからず影響を与えていることでしょう。
進化論についての著作「種の起源」は1859年11月24日に出版。
当時を振り返り娘ヘンリッタが書いた本「Emma Darwin, A century of family letters…」では、こう記述されています。
「かわいそうな小さな赤ちゃん(ウェアリング)は、知能が少なく生まれました。 父と母は彼に対し無限の愛で接していました」
参考ソース)
・Down syndrome in Down House: trisomy 21, GATA1 mutations, and Charles Darwin
・Charles Waring Darwin(wikipedia)
・A Brief History of Down Syndrome, Part 3: All In the Family