価値ある弟の人生
Posted on 1月 19, 2012 by DS21.info
あなたは人生の成功と失敗をどのように判断するでしょうか。
ある人は社会的名声を得ることが成功の基準とするかもしれません。
また、生涯年収の高さを基準とす人もいるかもしれません。
社会貢献の大きさを基準とする人もいるでしょう。
それらの基準で考えると、
1月5日に亡くなった私の弟マーシャルスティーブントーマスの人生は失敗だったと思います。
しかし、もし成功の基準が積極的に人と接することであるとすれば、
弟の人生は大成功だったでしょう。
弟は1950年に生まれ、直後にダウン症と診断。
主治医は私の両親に弟は絶対に成長しないから専門の施設に預けるように言いました。
当時の医者は知的障害者を持つ親へはこのように言うことが普通でした。
街中へ障害のある子どもを連れだすことは恥ずかしいとされていた時代でもありました。
しかし、私の両親は医師の言葉を聞き入れませんでした。
1950年代の施設では非人間的な扱いをされ、死ぬまでそこで過ごすことになるのです。
当時の両親は決して裕福ではありませんでしたが、
弟マーシャルが亡くなるまで出来る限りの世話をしようと決めました。
その後、社会は変わります。
ケネディ家の活動(知的障害者のサポート団体への莫大な寄付※注1)や心身障害者に関係する権利を守る法律の制定、
知的生涯の原因や問題に対する研究もはじまり、弟マーシャルが生まれた頃とは状況が変わってきました。
その結果、40歳と言われていた寿命を弟は越えることができました。
弟は大好きだった音楽を聴きながら、歌ったり、踊ったり、人生を楽しみました。
もちろん両親には苦労もありました。
弟が楽しい人生を過ごすためには多くのお金が必要でした。
そのお金があれば、奇麗な家を持つことができたり、
高級車を運転できたでしょう。
しかし、両親は弟マーシャルが楽しく過ごすこと、それが一番の価値だと考えていました。
その両親の姿勢は私や他の家族にも影響を与えました。
ニュースソース:My Brother’s Life: Very Valuable Despite Down Syndrome
注1)
以下、wikipediaからの引用です。
長女のローズマリー・ケネディは「もともと知的に障害があり」、20代で「精神的に不安定になった」ため、「精神障害である」とされ、医師の勧めもあり、ジョーの指示で1941年にロボトミー手術を秘密裏に受けさせられた(当時、この手術は精神障害を好転させると信じられていた)。執刀は同手術の熱心な推進者だったジョージ・ワシントン大学医学部のジェームズ・ワッツ博士だった。結果、それまでは自分の身の回りのことは自分で出来、普通に会話もしていたローズマリーは廃人となった。ケネディ家はこの事実を秘し、密かに施設に送り、そこで生涯を送らせ、彼女の存在はケネディ家のタブーとなった。ローズマリーの真実については1960年7月11日号の『タイム』紙がはじめて報じた。その後、ケネディ大統領の顧問の一人だった医師のバートラム・ブラウン博士はケネディ家の医師たちへの聞き取り調査や、ローズマリーが手術前に書いた手紙や学校でのテスト結果から判断して、ローズマリーは知的障害でも精神障害でもなかったと結論した。ローズマリーの件は、不要なロボトミー手術の強制によって一人の健康な女性を社会的に死に至らしめたケネディ家の犯罪であると激しく批判した。ケネディ家はこの批判には直接答えず、知的障害者のサポート団体への莫大な寄付や、知的障害者のためのスペシャル・オリンピックスの創設などを行って世論の批判をかわした。