ダウン症のラッパー”LAZ D”
Posted on 1月 21, 2011 by DS21.info
ダウン症のラッパー”LAZ D”。
彼の公式サイトからの引用です。
キャメロン・ラズリーは1982年に生まれ、当時の医者は彼が肉体的な困難を伴うと診断しました。
しかし、現在、彼は5kmのランニング、80kg以上のフリーウェイトを行なっています。
また、医者は彼がしゃべることができないだろうと考えていました。
それに反して、彼は”LAZ D”名義の2枚目のアルバムをリリースしました。
彼はダウン症です。
もし彼と会ったなら、彼はまっさきに自分はダウン症であることを意識してないと言うことでしょう。
彼もあなたにそう望みます。
彼の曲を聴くことで、きっとあなたもそのことを理解するはずです。
高校生のころ、キャメロンはノートにラップの歌詞を書きはじめ、将来はラッパーになりたいと思いました。
それを知った教師たちは驚いて、ラッパーを目指すより、飲食業で働いた方がいいと諭しました。
その声をよそに彼はアルバム制作、ミュージックビデオのコンセプトづくりをはじめます。
彼はすでに次のレベルへ進もうとしていたのです。
現在はNBAで活躍する同級生の一人で彼の熱狂的なファンであった友人は、彼を”LAZ D”と名付けました。
2005年9月、共通の友人を通じてキャメロンはプロデューサーのジャックGと出会い、
“LAZ D”名義のアルバム「The Man Himself」をリリース。
2006年8月には、”LAZ D”はオレゴン州ポートランドのライブハウスでライブを開催しました。
“LAZ D”のミュージックビデオ「Street Anthem」はニューヨークで行なわれたスプラウト映画祭でも公開されました。
“LAZ D”はダウン症だからではなく、彼の発する前向きなメッセージと下品な言葉は使わないラップで人気者になりました。
2007年4月、”LAZ D”とジャックGは2枚目のアルバム「IN MY FACE」の制作を開始。
制作とレコーディングはポートランド、ロサンゼルス、オースティン、ニューヨーク、ハワイで行なわ、
2年の歳月をかけようやく完成しました。
アルバムづくりの旅を通じて、”LAZ D”が若者ゆえに抱える複雑な心理を音楽に反映させました。
2009年5月、”LAZ D”はアルバムのリリースパーティを地元で開催。
また、ロサンゼルスのFM局「KXLU 88.9」でも取り上げられ、テキサス州オースティンでも初の単独公演を行ないました。
アルバムの中の曲「IN YOUR FACE」と「HOLD ME DOWN」では、
インターネット上での”LAZ D”の批判へ応えています。
「WE AIN’T PLAYIN」では健康的に暮らし、日々運動することの大切さを歌い、
「GO FOR IT」ではリスナーをゴールに導き、人生を思う存分生きようと訴えかけます。
現在、”LAZ D”とジャックGは「LAZ D and ME」というTV向けのアニメーションを製作中です。
“LAZ D”は人々にインスピレーションを提供し続けたいと思っています。
「僕にはメッセージを伝える声を持っています」と彼は言います。
http://www.youtube.com/watch?v=RH6Abh9p9ao
http://www.youtube.com/watch?v=307jYzUWWx0
■iTunes Music Storeでの楽曲販売
■参考URL
・“LAZ D”公式サイト
[]