「誰ひとり取り残さない」井田美保さんが心に決めた理由

Posted on 2月 25, 2021 by

 

井田美保さんは母であり、歌手、NPO法人の代表です。
今年、バディウォークナイザーはアクセプションズからNPO法人SUPLIFEにバトンが渡りました。
歌手を目指したきっかけから2021年のバディウォーク東京への想いまで聞きました。

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2016年のバディウォーク東京は渋谷で開催されました。宮下公園のステージで美保さんの曲『君の空へ虹を』が秋の青空、皆んなの笑顔と混ざり合って清々しい気持ちになったことを覚えています。
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美保さんが歌手になった経緯はなんだったのでしょう
美保
ただただひたすら歌が好きだった。今思えばそれだけでした。子どもの頃からありとあらゆるカラオケ大会にでては歌っていました。
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子供の頃のカラオケ大会。どんな曲を歌っていたんですか?
美保
父の影響で、演歌を歌っており、千昌夫の味噌汁の詩(うた)という、セリフ入りの歌でカラオケ大会出ていました!たいしてうまくもなかったのに、曲のおかげでおじさんおばさん受けが半端なく良くて、どこへ行っても褒められて、おかげで歌がさらに大好きになったんだと思います。ちなみにカラオケ大会で味噌汁の詩を歌っていることが小学校で有名になり、朝礼で歌ったこともあります。先生受けもよかったようです。

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味噌汁の詩、歌詞が興味深いですね。日本人のソウルフード味噌汁から日本人の原風景を思い出させる構成。何歳くらいからカラオケ大会に出場していたのですか?
美保
ほんとに小さい頃から出場してまして、未就学の頃から大会に出場していました。

子どものみの大会は相当上手い子たちが予選を勝ち抜いて決勝へいき、民謡を歌う子に負けることもしばしば。そんな時は準優勝とか、3位になってました。

大人が混ざると、味噌汁のうたの効力を発揮して優勝してました。

はっきりいって曲のおかげな気がします。

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未就学児童が日本人の心の原風景を歌うというギャップが受けたのかもしれませんね。
美保
優勝するとシャケ丸ごと1匹とかとにかく景品が豪華で、親が喜んでくれることも誇らしく思っていた気がします。
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歌うことで家族みんなが喜んでくれる。それでさらに頑張ろうっていうのはいいサイクルですね。味噌汁の詩はいつまで歌ったのですか?
美保
小学生までです。中学生になってからは、洋楽を聴くようになりました!高校生の頃聞いた曲が1番影響を受けていて、70年代の曲や当時のR&Bは今でも聞いています。
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小さい頃の成功体験から歌うことが好きになって、洋楽やR&Bも好きになって歌手を目指すようになったわけですね。
美保
なのに夢に向かうことが怖くてかなり遠回りしたので、デビューはだいぶ遅かったです。
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歌手という夢への躊躇いはなんだったのでしょう
美保
歌手になりたいって言えない自分がいました。両親は普通のサラリーマンで、サラリーマンが1番幸せだと育てられました。うちの父は若い頃歌手にスカウトされていたようですが、歌は趣味で歌うもので、仕事にするものではない、という考えの元に育ったので、なんとなく言えなかったです。やりたいことが分からなくなり家出して、1年近くニートやったりもしていました。
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へぇー
美保
そのあとはなぜか近道と勘違いし、イベントコンパニオンやグラビア、今で言うTVのひな壇タレントみたいなのをやっていました。夢に近いところにいれば、誰かがなんとかしてくれるって思っていたんですよね。そんなわけ無いし、今思えば音楽とは真逆のものすごい遠くにいましたね。
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紆余曲折を経て歌手になったわけですが、美保さんが歌手として伝えたいことはダウン症のお子様が生まれる前と後で変わりましたか。

美保
実は何も変わってなくて、ダウン症のある子を産んだことにより、より明確になりました。
デビューしていた頃はLGBTの方がたくさん応援してくれて、一緒にいるうちに皆さんの生きづらさをリアルに聞くようになりました。
それがきっかけで出来た曲が「君の空へ虹を」でした。

 

 
美保
私は、理不尽なことで誰かが悲しかったり落ち込んでいるのをみるのがとても嫌なんです。
少しでも自分の曲が、誰かの心に寄り添えたらいいな…と思って歌っていました。
ダウン症の告知を経験したとき、自分はこの世で1人ぼっちになるのかも…と思った、あの告知の辛さを体験できたことにより、よりはっきりと「誰かの心に寄り添う歌を」と思うようになりました。

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なるほど。LGBTの方の生きづらさを感じてつくった曲が、後の自分の辛さを救ってくれたんですね。

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今年、バディウォークナイザーはアクセプションズからSUPLIFEにバトンが渡りました。今回のバディウォーク東京のテーマは夢。Suplifeにも『For a dreamer』という曲がありますが、美保さんの小さい頃の夢、いまの夢はなんでしょう。

 

 
美保
あの曲は女子高生が挑戦したダブルダッチ世界大会の応援歌でした!小さい頃の夢は歌手、今は子どもたちの生きづらさを少しでもなくせる社会になるようにしたいので、一生エンタメをやっていけたらと思っています。80歳になっても、子どもたちと歌って踊っていたい。これが今の夢です。

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美保さんが考える共生社会ってどんな感じですか?
美保
私が考える共生社会は、行きたいときに行きたい場所へいけること、だと思っています。
例えば、インクルーシブに生きていきたくない人もいると思います。でもその人たちがもし気が変わって関わりたいってなったときに、いつでも自分を受け入れてもらえる場所。

これって結局はお互いを認め合うことで成立すると思うので、共生社会=隣の誰かを思う優しさってしみじみ思います。
小さな優しさの積み重ねのような気がしています。

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小さなことの積み重ねって、本質的に多様性が腹落ちしていないとできないことですよね。そういった腹落ちの助けになるためにもバディウォークがを多くの方が体験できできるといいですね。
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美保さんの団体で『お互いを認め合う』エピソードがあれば教えてください。
美保
SUPLIFEのイベントで、キッズダンスの子どもたちが2チーム参加してくれたんですが、楽屋が同じだったんです。障がいのある子、ない子、同じお部屋で1日過ごしてもらい、リハーサルも一緒にやりました。

終わったあとに障がいのない子からラインをいただき「始めは障がいのある子がたくさん参加するって聞いて怖かった。でも一緒にすごしたら、みんな優しくてニコニコしてて、あー、なにも私たちと変わらないんだなって思いました。貴重な機会をありがとうございました」って連絡をもらって。

リハーサルをみてても、自分の踊る立ち位置が分からなくなってしまったダウン症のある子の手を取って教えてくれてて、なんか2人とも嬉しそうで。

全部大人が入るより、子ども同士で試行錯誤することで、怖いと思う心の壁だったり、言葉はなくても互いを知りあい、分かり合えるのだなと子どもたちから学んでいます。

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そういったエピソードが今回のバディウォーク東京でもたくさん起きるといいですね。

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今日はありがとうございました!

 

「誰ひとり取り残さない」共生社会を広げていきたい

美保さんが代表を務めるNPO法人SUPLIFEがバディウォーク東京2021for all のクラウドファンディングに挑戦しています!
「共生社会ってちょっといいかも」と思ったら是非サポートしてくださいね!

https://camp-fire.jp/projects/view/38278/

 




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