「母と共に歩んだピアノの道」鈴木凜太朗・母親インタビュー
Posted on 5月 3, 2015 by DS21.info
アクセプションズ主催の音楽イベントM.O.D.S. Vol.3に出演するピアニスト鈴木凜太朗(すずき りんたろう)さん。
ダウン症があり、右手首より先は生まれつき欠損している凜太朗さんのピアノは技術以上に心に訴えかけてくるものがあります。
凜太朗さんがピアノをはじめるきっかけや子育てなど、お母様の鈴木真己子さんにお伺いしました。
凜太朗さんの演奏を聴いていると心から込み上げてくるものがあり、自然と涙がでてきます。凜太朗さんは小さいころ、どういうものに興味がありましたか?
実は最も好きだったのはブービーカー(今もこう呼びますね?幼児がまたがって地面けって走る玩具)運動音痴で怖がりのくせに、これだけはぶっ飛ばしていました。
今は、自転車をかっ飛ばしています(補助輪無し)が、これは親が同行しなければ乗らないルールで、遵守しています。
一番好きなものは音楽ではなかったのですね。
音の出る玩具も好きでした。その中でも鍵盤の光るピアニカサイズのキーボードがお気に入りでした。付属のマイクで、内臓の音楽に合わせて歌ったり、光った鍵盤を追って人差し指1本で弾いて(音を出して)遊んでいました。
なるほど、キラキラ光る鍵盤を押すと曲になることが嬉しかったのでしょうね。
その後、どうやってピアノに入っていったのでしょう?
小学校1年の時、学校で習った「きらきら星」を、内臓メロディに頼らず、そのキーボードで弾いていたのがきっかけです。
鍵盤にドレミのシールは貼っていましたが、他の勉強・運動・生活全般は全くついていけないのに、習った曲を覚えていたのに驚いてマンツーマンのエレクトーン教室に通うようになりました。
「習った曲を覚えていた」という母親の発見が音楽を習う=エレクトーン教室につながったのですね。
当時、息子のような重度障害児はおけいこやスイミングは、すべて断られましたから、この件は学校の先生に相談して、先生が以前担任をした障害のある生徒さんが習っていたところへ、骨を折ってくださいました。私にしたら、通えるだけでありがたい…の心境でした。実は音楽をさせてどうこうではなく、将来TVなどで時間をつぶす生活をさせたくない一心で、何か形にならなくても、できれば余暇は趣味のようなものに時間を使ってほしいという気持ちだけでした。
なるほど、6歳の子供の将来、余暇を趣味の音楽で過ごしてほしいという気持ちもあったのですね。その後、エレクトーン教室に通い続けたのですか。
高学年になったとき、先生の転居に伴い、息子のクラスメートでピアノ教室をしているお母さんにレッスンをお願いしました。
私たちによく話しかけてくれた方で、他にもピアノの先生をされてる方は何人もいらしたのですが、あとになって、よくこの方に頼んだなーと思います。
この先生が「右手は何をしているの?」の我が家にとっての名言をおっしゃったかたです。
(NHKの手記 ※1 にもありますが)レッスン初日に、何か弾いてとのことで息子は左手で童謡を弾いたのですが、先生は右手も使えばいいと、ご自身の右手をグーにして、両手合わせて都合6本で、『猫ふんじゃった』を弾いてお手本を示してくれたのです。
実はこの先生、ずっと以前から障害者のピアノ指導を勉強してらしたのです。
エレクトーンも楽しんでいましたが、生のグランドピアノを両手で弾ける…衝撃は本人も大きく、喜んで通うようになりました。
いままで指先が動く左手中心でピアノと向かい合ってきた凜太朗さんにとって、右手も使えるんだ、こうやれば弾けるんだ、というのは本人も可能性を感じた瞬間だったでしょうね。エレクトーンやピアノ、どうやって音楽を教えてきたのですか?
息子はまず、個人レッスンでないと理解ができません。
エレクトーンを習っていた頃(小学1年~5か6年)に、ドレミは家のキーボードにシールを貼ってあったので、理解していました。
30分のレッスンでエレクトーンの前に座ったのは5分が限度で、幼児向け教本の「指番号」をみながら、何カ月もかけて1曲の童謡を習っていました。
BGMが流れるので、左手だけで演奏してもそれらしく聞こえて、楽しんでいました。
あとは、曲のイメージの塗り絵、リズム体操や歌を習っていました。
小学5か6年~高等部3年までピアノは1時間のレッスンで、20分くらいピアノの前に座っていました。
先生が息子の指を持って、弾く鍵盤を教えていました。
この指はここ、みたいに片手ずつ教えて、できるようになったら、両手を一緒に合わせて弾く……の繰り返し。区切りは長くて4小節くらいでした。
あとの40分は、「滑舌が悪すぎる」と音読。「姿勢が悪い」と理学療法士並みに音楽に合わせてリハビリ体操。
リハビリ体操というのは興味深いですね。
そうなんです。これには私が驚きました。私は息子の付き添いで、息子についての訓練はひと通り見ています。この先生はPT・OT・STの勉強をしていないのに、的を射たご指導だったからです。
関西の漫才のノリで1時間のレッスンをしてくださり、これがまた息子は大喜びでした。
高等部卒業18歳~現在24歳まで就労に伴い、それまでの先生と時間があわず、先生が替わることになりました。障害のある人との接点もなく、アメリカの大学で音楽やピアノを教えてらして、帰国された日本人の先生です。
普通にピアノだけを教わっています。
先生の大学の不真面目な生徒に、凜太朗を見習えと言って「喝入れたい」と褒めてもらっています(笑)。
先生との出会いが音楽への姿勢を変えてきたのですね。
ご家庭のなかではどうだったのでしょう。
家庭内では、音楽はジャンルを問わずよくCDを聴いていました。
ちなみに3人家族ですが、夫も私も恥ずかしながら音楽はさっぱりわかりません。その上最近の曲は知らないので、自然息子が聴くのもPOPSは親世代のものがほとんどでした。昔のユーミンとかサザンとか、イーグルス……。
レッスン内容については、ピアノになってからは私は一切口出ししないし、家でフォローもしないと決めていました。時間がかかっても、先生と息子で全て解決してもらいます。
レッスンに付き添う私の前で、先生が「今日習ったこと、おうちで一人で練習できる?」と凜太朗に確認するほどです。
躾に関しての私のスパルタぶりを知っているご近所の方たち(みんないい方ばかりです)も私がピアノを弾けてたら、凜太朗をつぶしてたかもね~と一緒に笑っています。
読者のみなさん、特に小さいお子様の場合、自分の子どもにピアノを弾ける可能性があるのか、という点に興味があると思います。
ダウン症のある子どもがピアノを弾くにはどういうふうに教えるのがいいでしょうか。
最初のピアノの先生からは、“障がいなどは全く関係なく、生徒と先生の相性もあるし、その子どもに合ったレッスンができるかどうか”だとお聞きしたことがあります。
凜太朗のせいで(おかげでともいう?)障がいのあるチビッコちゃんが何人も先生のところへ通うようになりましたが、ダウン症に限らず「みんな、教え方も理解の仕方も違う」とおっしゃってました。
とはいえ、ピアノに関心・興味がある、ということは前提ですよね。
何に興味を示すのか…?を考えてみましたが、発達の良い器用な子どもさんほど、ソツなく何でもできるので、絞り込めないようです。他にもやりたいことがあるし、できるしで一つのことに時間を取れないというか、飽きてしまうと言うか。
凜太朗はとにかく他のことは全くダメで、初めに習ったピアノが残ったと言うか、それを超えるものが出てこなかったというか、今、思えば他に選択肢がなかっただけです。
不器用だからこそ、見つけやすく、集中できたのかもしれません。
なるほど。
結局はいろいろ経験したり、チャレンジしてみて、子どもの「本当にスキ」の思いに尽きるのかなと思ったりします。
なにであれ、他のことを捨てられるほどのもの、優先順位1番と言えるものが見つけられたら幸運なのかも知れません。
うちはそれを全力で褒めて、全力で応援する以外に術を知らず、後先考えずここまできたと言うのが実情です。
褒めることは重要ですね。
最初のピアノの先生が私におっしゃったことがあります。
特別支援の高等部の頃だったしょうか?
『凜くんには、ピアノの才能も絶対音感もリズム感もないからね、勘違いしたらだめよ。
でも、凜くんには練習する才能がある。これは、健常の子どもでも持っている子は少ない。だから時間をかけてでも曲が仕上げる』
なるほど。我が家の座右の銘でございます(*´艸`*)。
毎日、真面目に練習してもなかなか覚えられません。ひと通り弾ける状態になるのに「悲愴」や「別れの曲」は2年、「トロイメライ」は1年かかりました。
努力の結果として曲が弾けるようになる、練習する才能、継続する才能は素晴らしいですね。
ピアノにまつわる苦労話を聞かせてください。
エレクトーンを習っていた時は、息子は「レッスン」や「練習」がわからないので、“先生と遊ぶ”くらいの印象でした。より楽しめるようにとの配慮で宿題を出してくれますができません。
私にガミガミ言われながら、塗り絵や片手の練習やらが苦痛だったはずです。
先生とは遊びながら上手にレッスンの時間を過ごせても、宿題は親との短い時間で息子にはできません。
例えば、「こいのぼり」の曲の練習のための“こいのぼり”がわからず、その塗り絵だけでも、“こいのぼり”のなんたるかから教えねばならず、……ということです。だんだん私がヒートアップするのが常でした~。
怖いお母さんも才能を後押ししたのかもしれませんね(笑)。
お母様のご苦労はいかがですか?
本人の苦労とかぶりますが、必要以上にご面倒をかけて息子のレッスンをして下さる先生への感謝と申し訳なさから、私はせめて宿題や復習はちゃんとさせようと考えていました。
エレクトーンの時は怒ってでもさせていましたが、ピアノに変わってからは年齢が上がってきたせいもあり、ルールを決めて、方針を変えました。
「練習していない時は、レッスンに行かない」というルールです。先生のところへ行きたがっていたのでできたのかもしれません。その為には短い小節でも、その日レッスンした箇所は、帰宅後すぐに復習させる習慣をつけました。遊びに行ってしまうと、習ったことを忘れてしまうので、復習が終わるまでは遊びもダメ。でもそうしておくと、翌日も何となく覚えていて練習できます。レッスン以外の日もたとえ5分でも練習させるようにしていました。
たとえ、ちゃんと出来ていなくても、練習してきたことは先生にはわかるので、とっても褒めてくれて、喜んでもらえます。それで、息子もうれしくて復習・練習を理解してするようになりました。練習していなかったせいで、本当にレッスンをドタキャンしたこともあります。先生にも失礼だし、お月謝ももったいないのですが、“練習しなければ、大好きな先生のピアノに行けない”というルールは、反対から見れば、練習すれば行ける…褒めてもらえる…ので結果として良い方向へいってくれました。
先生と向き合う姿勢をしっかり身につけたのが素晴らしいですね。
ピアノというとお金がかかるな、というイメージなのですが。
エレクトーンもピアノも本当はどこまで続くか分かったものではないので(笑)、エレクトーンを習っていた頃から、家では、ずっと大きめのキーボードを使っていました。中古でも安くはない本物を買ってしまったら、私のキャラでは、「しっかり練習しなさい!」と息子を追いこんでしまうことは必至でした(断言します 笑)。本人が嫌ならいつでもやめればいいと思ってやりたかったのです。とにかく、学校生活でも私が何かと口うるさく言わなければならなかったので、せめておけいこ事では褒めてやりたいと思いました。息子に対しては内心は“あなたの為”という私の「思い」に応えて、息子は自分にはわからないことだらけの学校生活をがんばってくれていると思っていましたから。
複数のピアノの先生がおっしゃるには、音大を目指す生徒ならともかく、「普通は、その日教えたことをすぐ復習して練習してきてくれる生徒はいない」そうで、私には当然のことがそうではなかったらしいです(笑)。
我が家が中古のアップライトピアノを購入したのは、(ここへきても前と同じ理由で新品を買わなかったのですが、今はそれを少し後悔しています(笑)がもう買い換えません)高等部1年の時。
高等部3年の時にバンクーバーで開催される第2回国際障害者ピアノフェスティバルを目指すと決めたからです。手記にあった「さくら」で先生と生徒(息子)は、やればできるという自信をつけていました。
先生と息子が選んだベートーヴェンのピアノソナタ「悲愴」第2楽章を練習するためには,キーボードでは鍵盤が足りなかったのです。
それまで、キーボードしかなかったので、喜びましたね~。ますます練習するようになりました。最初から環境が整っていることが最良でもないのかなーなんて、都合よく思いました。
なるほど、最初から環境が整っていないことは、制約があるなかで芽が出ることにつながったのかもしれませんね。
最後にダウン症のあるお子様を持つ方へメッセージをお願いします。
障がいの有無にかかわらず、「ひとにはどんな未来や可能性があるかわからない」というのが、私が息子から学んだことです。目の前の課題に力を尽くすことで道は拓けるのかな、夢中になれる何かが見つけられたひとは幸せだな……などとも思います。
でも道はひとつではないので、もし息子がピアノや先生に巡り会っていなかったとしても、ピアノの為にあきらめたものもいくつもあるので、きっとそれらを楽しんでいたのではないでしょうか。
岐路に立った時、支えにしてきた言葉をメッセージに代えます。
「たとえ、周囲と意見が違っても、親が子どもの為に悩んで決めたことなら、それが最善のはず。」
またどこかでおめにかかれればうれしいです!
素晴らしいメッセージをありがとうございました。
※1
第46回NHK障害福祉賞優秀作品「明日を信じる」鈴木 真己子
http://www.npwo.or.jp/library/award/2011/46_yusyu_suzuki.html
アクセプションズ主催の音楽イベントM.O.D.S. Vol.3は2015年6月13日(土)に開催です!
鈴木凜太朗さんのピアノをはじめ、様々なアーティストが集結した「家族で楽しむカジュアルなクラシック音楽」イベントです。この機会をぜひお見逃しなく!
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